沿革 岐阜聖徳学園大学について
大学部 沿革
昭和37年12月 | 学校法人聖徳学園創立 |
昭和47年4月 | 聖徳学園岐阜教育大学開学 教育学部 初等教育課程・中等教育課程(国語専攻・数学専攻)設置 初代学長として坂本進就任 聖徳学園岐阜教育大学附属小学校・附属中学校開校 |
昭和47年10月 | 聖徳学園創立10周年記念式典挙行 |
昭和50年8月 | 第2代学長として村松繁樹就任 |
昭和51年3月 | 中等教育課程に社会専攻・音楽専攻設置 |
昭和51年4月 | 聖徳学園岐阜教育大学附属高等学校開校 |
昭和53年10月 | 聖徳学園創立15周年記念式典挙行 |
昭和57年4月 | 第3代学長として長沼正巳就任 |
昭和58年10月 | 聖徳学園創立20周年記念式典挙行 |
昭和60年4月 | 男女共学制の実施 聖徳学園岐阜教育大学附属幼稚園開園 |
昭和61年4月 | 第4代学長として廣瀬弘就任 |
昭和61年9月 | 学長職務代理として織田長繁就任 |
昭和62年2月 | 学長職務代理として岡山明就任 |
昭和62年4月 | 第5代学長として橋爪貞雄就任 |
平成2年4月 | 外国語学部(英米語学科・中国語学科・日本語学科)設置 |
平成2年7月 | レイクヘッド大学(カナダ)との「一般協定書」調印 |
平成5年4月 | 第6代学長として上寺久雄就任 |
平成5年10月 | 聖徳学園創立30周年記念式典挙行 |
平成8年10月 | 中央民族大学(中国)との「一般協定書」調印 |
平成10年4月 | 岐阜聖徳学園大学に校名変更 大学校名変更に伴い、附属高等学校・中学校・小学校・幼稚園も校名変更 大学院新設 国際文化研究科(国際教育文化専攻・国際地域文化専攻) 経済情報学部設置(経済情報学科) 教育学部・外国語学部並びに附属学校を羽島キャンパス、経済情報学部並びに短期大学部を岐阜キャンパスとした |
平成11年4月 | 第7代学長として北畠典生就任 |
平成11年10月 | 東国大学校(韓国)との「一般協定書」調印 |
平成12年3月 | ダニーデン教育大学(ニュージーランド)との「一般協定書」調印 |
平成12年5月 | マーシャル大学(アメリカ)との「一般協定書」調印 |
平成12年8月 | 岐阜聖徳学園大学附属幼稚園を羽島キャンパスに移転 |
平成13年1月 | 大連外国語学院(中国)との「一般協定書」調印 |
平成13年3月 | 学歌の制定 |
平成14年4月 | 教育学部学校心理学科設置 外国語学部の3学科を改組(英米語・中国語・日本語を外国語学科に再編) 経済情報学部夜間主コース募集停止 大学院経済情報研究科設置(経済情報専攻) |
平成15年10月 | 聖徳学園創立40周年記念式典挙行 |
平成16年4月 | 大学院経済情報研究科に博士課程開設 エクステンションセンター開設 |
平成17年4月 | 第8代学長として口羽益生就任 |
平成19年4月 | 教育学部初等教育課程を定員増し、保育士養成施設設置 教育学部学校心理課程を設置(学校心理学科募集停止) |
平成21年4月 | 教育学部初等教育課程と中等教育課程を改組し、学校教育課程(国語・社会・数学・理科・音楽・体育・英語・保育専修)を設置 |
平成23年4月 | 第9代学長として藤井德行就任 |
平成25年10月 | 学校法人聖徳学園創立50周年記念式典挙行 |
平成26年4月 | 平成27年度教育学部学校心理課程学生募集停止 |
平成27年4月 | 教育学部学校教育課程に特別支援教育専修・学校心理専修を設置 看護学部看護学科設置 |
令和3年4月 | 第10代学長として観山正見就任 |
令和4年4月 | 岐阜聖徳学園大学創立50周年 |
令和5年4月 | 学校法人聖徳学園創立60周年 |
令和6年4月 | 令和7年度外国語学部外国語学科学生募集停止 |
短期大学部 沿革
昭和41年4月 | 岐阜南女子短期大学 (家政科、保育科第一部、保育科第二部) 開学。松久義平初代学長に就任 |
昭和41年11月 | 大学名称を聖徳学園女子短期大学と改称する。 |
昭和41年12月 | 保育科第二部に児童福祉法に規定する保母養成施設の認定をうける。 |
昭和42年1月 | 家政科(50名)を第一部家政科家政専攻(50名) 食物栄養専攻(50名)に変更する。 |
昭和42年4月 | 家政専攻は被服(服飾)コース、養護教諭コースとなる。 |
昭和43年2月 | 家政科第三部、保育科第三部(定員それぞれ100名)設置認可される。 |
昭和43年3月 | 教育職員免許法第5条第1項別表第1備考第1号の2に規定する免許状授与のための課程として認定される。(保育科第三部) |
昭和43年4月 | 坂本進第2代学長に就任。 保育科第三部に対し、児童福祉法に規定する保母養成施設として指定をうける。 |
昭和44年1月 | 入学定員を次のように変更する。 保育科第一部...100名 保育科第二部...100名 保育科第三部...200名 |
昭和45年2月 | 初等教育学科(入学定員50名)設置認可される。 家政専攻は家政コース・生活造形コース・養護教諭コースとなる。初等教育学科、教育職員免許状授与の課程として認定される。 |
昭和45年3月 | 第一部、第二部及び第三部保育科を幼児教育学科に、第一部・第三部家政科を家政学科に名称変更する。 |
昭和47年3月 | 家政専攻は、衣料服飾コース・養護教諭コースとなる。 |
昭和47年5月 | 幼児教育学科第二部保母養成施設を廃止する。 |
昭和49年3月 | 聖徳学園岐阜教育大学の設置認可にともない、初等教育学科を廃止する。 |
昭和49年4月 | 入学定員を次のように変更する。 幼児教育学科第一部...50名 幼児教育学科第二部...100名 幼児教育学科第三部...100名 |
昭和50年8月 | 村松繁樹第3代学長に就任。 |
昭和52年12月 | 入学定員を次のように変更する。 幼児教育学科第三部...150名 |
昭和57年4月 | 橋岡良夫第4代学長に就任。 |
昭和58年12月 | 廣瀬 弘第5代学長に就任。 |
昭和59年4月 | 入学定員を次のように変更する。 幼児教育学科第一部...100名 家政学科第三部...50名 |
昭和61年4月 | 入学定員(期限付)を次のように変更する。 家政学科家政専攻第一部...100名 |
昭和62年5月 | 川端 博第6代学長に就任。 |
平成元年3月 | 幼児教育学科第二部を廃止する。 |
平成元年4月 | 入学定員を次のように変更する。 家政学科第一部...200名 ├家政専攻...150名(50) └食物栄養専攻...50名 家政学科第三部...70名 家政専攻は生活情報コース・英語コース・養護教諭コースとなる。 |
平成3年12月 | 商経学科設置認可される。 |
平成4年4月 | 入学定員を次のように変更する。 商経学科...100名 幼児教育学科第三部...120名 家政学科第三部...50名 家政専攻は生活情報コース・養護教諭コースとなる。 商経学科は商経実務コース・実務英語コースとなる。 |
平成5年5月 | 山邉 孝第7代学長に就任。 |
平成8年4月 | 妙見 孟第8代学長に就任。 |
平成9年12月 | 大学名を岐阜聖徳学園大学短期大学部に名称変更認可される。 |
平成10年4月 | 上寺 久雄第9代学長に就任。 大学名称を岐阜聖徳学園大学短期大学部と改称する。 家政学科第一部家政専攻を生活学科第一部生活学専攻と名称変更する。 入学定員を次のように変更する。 生活学科第一部生活学専攻...100名(50) 幼児教育学科第三部...100名 |
平成11年3月 | 商経学科を廃止する。 |
平成11年4月 | 北畠 典生第10代学長に就任。 |
平成12年3月 | 家政学科第三部を廃止する。 |
平成12年4月 | 入学定員を次のように変更する。 生活学科第一部生活学専攻...100名 |
平成13年4月 | 生活学科第一部を生活学科とする。 |
平成17年4月 | 口羽 益生第11代学長に就任。 |
平成23年4月 | 藤井 德行第12代学長に就任。 |
平成28年3月 | 生活学科(生活情報コース、養護教諭コース)、食物栄養専攻を廃止。 |
平成28年4月 | 岐阜聖徳学園大学短期大学部創立50周年 |
令和3年4月 | 観山正見第13代学長就任。 |
令和5年4月 | 令和6年度幼児教育学科第三部学生募集停止 |
令和6年4月 | 令和7年度幼児教育学科第一部学生募集停止 |