岐聖大通信Vol24

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編集室に届いた卒業生からの手紙をきっかけにこの特集を企画しました。てさらにうれしいことに、震災から半年なっていると佐藤君から聞きました。そし生活を過ごす子どもたちの心の拠り所に萌ゆ』は予想以上に喜ばれ....

編集室に届いた卒業生からの手紙をきっかけにこの特集を企画しました。てさらにうれしいことに、震災から半年なっていると佐藤君から聞きました。そし生活を過ごす子どもたちの心の拠り所に萌ゆ』は予想以上に喜ばれ、不自由な学校撮影・編集/伊達小学校教育学部Profile教授明るく軽快な曲調に生まれ変わった『緑大西隆之楽の力で、子どもたちに元気を届けようと。編曲した楽譜をプレゼントしたのです。音した末、くだんの部歌をマーチバージョンに早田勝彦校長主な担当科目作曲法、合奏、音楽理論研究課題管弦楽(弦楽合奏を含む)、吹奏楽作品の研究日本の音素材による作品の研究そして「今、自分にできることを」と思案事とは思えませんでした。それだけに原発事故の衝撃は大きく、他人ましたから、彼らは私にとって教え子同然。してメールでアドバイスを送るなどしてきたちの演奏シーンを収めたDVDを拝見ますが、「力になりたい」と思う人はぜひいと考えています。ゆ』と題した部歌が完成した後も、子どもられています。とるなら」と、喜んで引き受けました。『緑萌福島県は3・ら11え以方降は、風いろ評い被ろ害だにと苦思しいめ音楽を通じて支援を続けていきた始めてみませんか。私も微力ながら、2010年初夏のこと。「私でお役に立てすることもできました。のもいい。自分たちにできることから佐藤君からそんな依頼を受けたのはと勇気をもらい、また、音楽の力を再認識し、福島県産のおいしいものを食べるし、吹奏楽部の顧問としても奮闘しているエールを送るつもりで赴いたのに、逆に元気て経済的な復興に貢献するのもいいせんか」。伊達小学校に音楽専科として赴任キラした目が忘れられません。私は彼らに行動に移してください。観光に訪れ「吹奏楽部の部歌を作曲していただけまいたのですが、その時の子どもたちのキラてきたからです。演奏会終了後、少し指導もさせていただ佐藤隆之君を通じて縁があり、交流を続けージが込められているようでした。生で、マンドリンクラブの教え子でもある「福島は元気だと伝えたい」。そんなメッセもたちのことでした。本学教育学部の卒業奏する子どもたちの姿は感動的でした。だのが、伊達小学校(福島県伊達市)の子ど集っていました。大勢が見守る中、堂々と演故が報道されたときに真っ先に頭に浮かん児童のみならず、保護者や地域の方々も東日本大震災の直後、福島第一原発の事当日、会場となった小学校の体育館にはすることも深まるにな10月った22の日で、私すは。伊達小学校を訪問披露する演奏会へのお招きが。こうして秋あまり経ったある日、日ごろの練習の成果を““音楽という支援のかたち。福島の子どもたちに届けた03子どもたちと一緒に大切に受け継いでいこうと思います。した。これからも先生が作曲してくださった部歌を東北大会に福島県代表として出場することもできまが一層強まり、2011年の全日本吹奏楽コンクールのひと言です。おかげさまで吹奏楽部としての連帯感ご多用の中、足を運んでくださった大西先生には感謝な意味があったのだからこそ、10月です22日。の演奏会が実現したことは大き「一生懸命練習して、大西先生に聴いていただこう」と。曲が、まさにモチベーションソングになりましたね。た。吹奏楽部の練習を再開できた4月4日以降、このその間です。うれしくて、部員全員にハガキで伝えましバージョンにアレンジされた部歌の楽譜が届いたのはの外出禁止を余儀なくされました。大西先生からマーチこそ少なかったものの、3 .放射能漏れの恐れから約3週間11の大震災で伊達市は地震による直接的な被害無償で。大西先生はそういう懐の深い方なんですよ。ったのです。しかも「子どもたちが喜んでくれるなら」と伊達市立伊達小学校HP http://www.date-e.fks.ed.jp/作曲をお願いしたところ、二つ返事で快諾してくださ会。話が弾み、ご無理を承知で先生に吹奏楽部部歌のクラブのOBだと知った後輩の計らいで大西先生と再ギターの音が聞こえてきました。そして私がマンドリンに岐阜へ行き、ふらりと立ち寄った母校から懐かしい2010年のゴールデンウイークに所用で久しぶり大西先生からの贈り物母校との縁、絆を実感した福島県伊達市立伊達小学校勤務佐藤隆之さん(1992年度教育学部卒業)