岐聖大通信Vol24

岐聖大通信Vol24 page 2/20

電子ブックを開く

このページは 岐聖大通信Vol24 の電子ブックに掲載されている2ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
特集i n s p t e e r c v i a i e l w東日本大震災から1年。私たちは何を感じ、何を思い、どう動いたか。平成23年3月11日に発生した東日本大震災は、東北地方を中心に未曾有の被害をもたらしました。この後、日本人....

特集i n s p t e e r c v i a i e l w東日本大震災から1年。私たちは何を感じ、何を思い、どう動いたか。平成23年3月11日に発生した東日本大震災は、東北地方を中心に未曾有の被害をもたらしました。この後、日本人の心がひとつにつながり、大きな「支援の輪」が生まれました。本学にも、さまざまな形で行動を起こした学生や教職員がいます。皆さんもきっと、この1年、東日本大震災という言葉を聞いて何かを感じ、何かを考えたのではないでしょうか。今回の特集では、支援やボランティアに携わった本学関係者の事例を紹介。この企画が皆さんに、支援とは何か、絆とは何かを考えていただく機会になれば幸いです。共に前を向いて歩いていこうと思います。時間はかかろうと、家族や生徒、地域の方々と日本中のみなさんの応援に支えられています。いものになるでしょう。でも、私たちは今日も、もとの元気な街に戻すための道のりは、長く険し今、宮城は復興へ向けて少しずつ前進しています。ができた」と、とても喜んでいました。分かりません。生徒たちも「第二の家族、ふるさとかいもてなしや言葉に、どれだけ励まされたかことは、本当にうれしかったです。みなさんの温招いてくださり、その引率担当をさせてもらったが東松島市の被災中学生たちをホームステイに震災後の夏休み、岐阜県関市のボランティア団体絆について考えるきっかけになりました。しましたが、同時に生きていることの幸せ、人との東日本大震災は、多くの悲しみや傷みをもたら確認でき、涙があふれたことを思い出します。発生から4日目の朝。家族全員が助かったことをる自宅の様子を見に行くことができたのは地震名簿作り、食事の配給などに追われ、石巻市にあの安否確認や保護者への引き渡し、避難所対応、何が起きたのか考える余裕すらないまま、生徒の鬼気迫る表情は、未だに忘れられません。でも、難所となりました。命からがら逃げてきた方たち済みだった校舎は奇跡的に被害が少なく、緊急避幸い、海から少し離れた場所にあり、耐震工事予期できたでしょう。半分以上が流されてしまうなんて、誰がそれを突如、M9.0の地震と高さ6mにもおよぶ津波で街のもと変わらぬ授業、生徒たちの顔、そして空の色。あの日、私は勤務先の中学校にいました。いつ大切さを感じた特別な人の温かみ、優しさ、絆の1年。宮城県東松島市立矢本第一中学校勤務遠藤知子さん(2006年度教育学部卒業)02